神戸地方裁判所 昭和53年(レ)13号 判決
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【判旨】
二次に請求原因2(野森神社の法主体性と本件土地の占有)の事実について判断する。
1 本件土地上に野森神社の諸施設があること、野森神社が明治初年ころ本件土地上にあつた祠を野森大明神と称し信仰されたことに由来すること、孝一が野森神社の信者であつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 野森神社は明治初年ころ既に本件土地上にあつた祠に対する信仰から発展して来たもので、野森大明神と称されていたが明治、大正年代を経て昭和一二年孝一が本件土地所有者となるころまでの間において、本件土地と同じ範囲をその境内として本堂、拝殿、前拝殿、参道、井戸、手洗所、便所、石燈籠お百度石、多数の木造あるいは石造の鳥居等が信者の寄進や奉仕によつて設けられ、神社の形態を整えていた。そして、その間信者が増加して地元の人達のみならず神崎郡や遠くは神戸・大阪方面にも信者が出るようになり、毎年四月と九月の一二日には野森神社の大祭が境内で催され、その大祭日には出店が並び、浪曲・漫才等の余興も行われて賑い、右祭礼の費用も信者の寄付や賽銭、出店の場所代等で賄われていた。そして、神社の施設管理や祭礼の行事、賽銭等の管理財政事務など(以下神社の管理運営等という)は、神のお告げを信者に伝える信者の代表ともいうべき代表人ら(橘田真照はその筆頭格)によつて信者の中の世話人の協力を得ながらなされていた。孝一が本件土地所有者となる前の本件土地所有者山口かずえが本件土地所有者として神社の管理運営等について関与したことはない。
(二) そして、孝一が本件土地所有者となつたのちも、信者によつて本件土地である野森神社の境内に竜王大神碑等の石碑、鳥居や石燈籠の建立、植樹がなされ、拝殿等の補修、改築等がなされて一層神社としての諸施設が充実し、従前同様に神社の管理運営等がなされてきたが、昭和二四年ころからは、代参人は信仰面に専念し、地元の人達から選任された世話人が神社の管理運営等に当るようになり、前記大祭の日も毎年四月と九月の一日に改められた。そして、右の代参人や世話人らは、神社の管理運営等に関し本件土地所有者である孝一の当然容認するところと考えて同人にこれを諮つたことはなく、他方、孝一も野森神社の信者でもあつたところ、本件土地所有者となつた当時より野森神社の諸施設を自己の所有と考えておらず、その後信者の寄進等による右施設の拡充のみならず、代参人や世話人らによる神社の管理運営等に何ら異議を唱えたこともない。
(三) その後野森神社の管理運営組織につき昭和四七年一一月一日野森神社規則が制定され、信者の中から選ばれた総代で組織する総代会、同会で選ばれた責任役員で組織する役員会、責任役員から互選される代表役員等の定めがなされると共に信仰面に従事する宮司等の定めもなされて現在に至つており被控訴人らは現在その代表役員となつている。
以上のとおり認められる。もつとも、前記各証拠によれば、孝一が昭和二一年ころ本堂の改築等をしたことが認められるけれども、右は信者として、それをなしたものと解すべく、<証拠判断略>。
2 右認定事実によれば、野森神社は、明治初年ころ本件土地上にあつた祠が野森大明神と称され信仰の対象となつて発展し、次第に信者が増加するに伴い、昭和一二年孝一が本件土地所有者となつたころには、既に本件土地範囲を境内として信者の寄進や奉仕により設けられた多数の祭祠施設を有して神社の形態を整えており、孝一も当時より右施設が自己の所有と考えていなかつたうえに、神社の管理運営等は、信仰を深めた神のお告げを信者に伝える信者の代表ともいうべき代参人が信者の中の世話人の協力を得てこれを行い、その後も信者の寄進等により右施設が拡充すると共に神社の管理運営等の組織も発展し、昭和二四年ころからは代参人が専ら信仰面に専念して、信者の中から選ばれた世話人が神社の管理運営等を行うようになり、更に昭和四七年一一月一日野森神社規則の制定により神社の管理運営等の機関が改定整備されて現在に至り、被控訴人らは現在その代表役員であるところ、野森神社は、これまで法人化の手続がなされていないにせよ、孝一が本件土地所有者となつた昭和一二年ころには既に、固有の祭祠施設を有すると共にその管理運営機関を備えて祭祠活動をする一種の財団的性格をもつ独立の権利主体となつていたし、その後も連続一貫してその権利主体性を維持強化して今日に至つているものと認めるのが相当である。
また、右認定事実によれば、野森神社は、孝一が本件土地所有者となつた昭和一二年ころ以前より、本件土地範囲を境内として祭祠施設を有し、その管理運営等による祭祠活動を行つてきたものであるから、爾来本件土地を直接占有して使用してきたものと認めうべく、なお、前記代参人や世話人らにおいて神社の管理運営等は本件土地所有者である孝一の容認しているところと考え、同人もその管理運営等につき異議を唱えたことがないことにかんがみると、野森神社の右占有使用は孝一の黙示的承認に基づくものと認められるから、孝一は当時野森神社を占有代理人として本件土地を間接占有していたものと認めるのが相当である。控訴人は、孝一は当時本件土地及び同地上の建物等を山口重男に管理させ、建物等の鍵も保管させて、これを占有していた旨主張し、<証拠>中には、右主張に副う部分があるけれども、右証拠は<証拠>に対比して俄かに採用できず、他に控訴人の右主張を認めて右認定を妨げる証拠はない。
三そこで、請求原因3(本件土地の贈与)の事実について判断する。
1 昭和二八年四月本堂二重屋根の新築工事が完成したこと、孝一が山口かずえから本件土地を含む二二六番の土地を譲り受けるに際し、同女から被控訴人ら主張の申出をうけて了承したこと、孝一が野森神社の信者であつたこと、野森神社の拝殿前に被控訴人ら主張の寄進石が建立されたこと、孝一が昭和三二年に二二六番の土地を本件土地と残余の土地に分筆して残余の土地のみを他に売却したことは当事者間に争いがなく、右事実に<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 孝一は、本件土地所有者となつたころより既に野森神社の信者であつたもので、野森神社のお告げにより大阪方面へ出て事業に成功したことがあつたことから、その恩に報いるため、昭和二八年四月信者の寄進により野森神社の本堂二重屋根が新築された際、その世話人や信者の前で本件土地を野森神社に贈与(寄進)する旨の意思表示をした。なお、本件土地範囲は野森神社の境内としてかなり明確であつた。世話人らはその際に本件土地が野森神社に贈与(寄進)されたものと考えていたが、昭和三一年九月孝一方を訪ねて孝一から右贈与の事実が間違いない旨の確認を得ている。
(二) そして、右世話人らは昭和三二年四月に右贈与(寄進)を記念して「昭和三二年四月寄進土地六百余坪大阪深津孝一」と刻した寄進石を野森神社の拝殿近くに建立した。孝一は右寄進石の建立を知りながら世話人らに対し異議を述べていない。また、孝一は昭和三二年五月六日、本件土地を含む二二六番の土地を本件土地と残余の土地に分筆のうえ、その残余の土地のみを訴外和田キヨノに売渡してその所有権移転登記をし、右売渡に当り、右訴外人や立会人に対し本件土地を既に野森神社に寄付している旨説明している。
以上のとおり認められる。
2 右認定事実によれば、孝一は昭和二八年四月本件土地を野森神社に贈与したものと肯認し得べきである。<中略>
四次に、抗弁1(贈与の取消)の事実は当事者間に争いのないところであるから、再抗弁について検討する。
1 まず再抗弁1(書面による贈与)について按ずるに、本件贈与後に被控訴人ら主張の寄進石<編注―「寄進土地六〇〇余坪深津孝一」と刻された石が昭和三二年四月に建立された。>が野森神社の拝段前に建立されたことは当事者間に争いがない。ところで、民法五五〇条の書面による贈与といいうるためには、書面の素材は紙に限らず木や石等でもよいが、贈与者の贈与の意思表示が書面に記載されているだけでは足りず、その書面が贈与者の意思に基づいて作成されたものであることを要すると解するのが相当であるところ、これを本件についてみるに、前認定のとおり、右寄進石は受贈者である野森神社の世話人らにおいて本件贈与を記念して建立されたものであつて、右寄進石が建立されたことを贈与者である孝一において知り異議を述べなかつたにせよ、これをもつて右寄進石が贈与者である孝一の意思に基づいて建立されたものとはいえず、他にこれを認めうる証拠はない。
そうすると、本件贈与は書面による贈与とはいえないから、再抗弁1の主張は採用できない。
2 そこで、更に再抗弁2(贈与の履行)について按ずるに、孝一は、前説示のとおり野森神社を占有代理人として本件土地を間接占有していたところ、野森神社に対し本件土地を贈与したものであり、本件贈与の動機、贈与後の孝一の行動等を考え合わせると、孝一は野森神社に対し本件贈与と共に簡易の引渡として本件土地の引渡をもなしたものと推測するのが相当である。
そうすると、本件贈与は右引渡により履行を終つているから、控訴人の本件贈与取消の意思表示は効果を生じない。
(阪井昱朗 谷口彰 上原理子)